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人文社会学部・人間文化研究科

草創期学部長の回顧

人文系学問の意義

第二代学部長、名誉教授
福吉 勝男

第二代学部長
名古屋市立大学名誉教授
福吉 勝男

 私は数年前から国際医学技術系の専門学校で、日々勉強しながら生命倫理論を講じている。その内容のメインは、「<生命・いのちと健康>」と倫理との関わりについてである。いま何故、この内容に注目する必要があるのか。周知のように生命科学とその応用技術の近年の進展は目覚ましく、ともすれば技術の独走という危機的事態を迎えかねないこともありえるのであり、だからこそその進展がどこまで・どのようなかたちのものまでなら許されるのかという倫理的規範づくりの努力を積み重ねていかねばならないと考えるからである。
 例えば、受精卵にメスを入れ、遺伝子レベルで病気発症の危険性(HIV感染者の精子)を除去したうえで出産させたケースが中国から報告された(2018年12月)。このように生殖医療の技術的進展は思い通りの子どもを産むことができるデザイナーズベイビーを可能とするところまできており、優生思想の新たな復活の危険性も懸念される。また同性カップルにも第三者の介添えさえあれば、体外授精や人工授精などにより自分たちの子どもを産み育てることができるようになり、朗報のひとつとなる。同時にこれまでの親子・家族などについての再定義が必須となるであろう。
 また様々なかたちでのゲノム・遺伝子操作により、食物・食品を作りだすことができるようになってきている。品種改良を通しての収穫量・品質への対応、人の健康への関与(例えば高血圧症に効くトマト)と称されるもの。こうした食品(身近な代表的のものとしては遺伝子組み換えの大豆使用の納豆)がすでに日常の食卓に出回ってきている。しかしそれらが人の健康にどう影響をあたえるのか(当面影響なしとされても世代を超えての発現もありうる)について、専門科学者でさえ断定的な答えを出し得ていないのが現状のようだ。
 こうした問題への対応には、当該分野に限られた特定の科学技術者だけでの検討では不十分であろう。多分野の科学技術者たちとの連携や人文・社会科学者たちの関与も必須と思われる。当該問題が人間と社会にとって有する価値や意味を掘り下げて考えなければならないからである。
 そこで、ここ暫くの間に科学技術と人文・社会科学との関連をめぐって、私自身に関わるものも含めた学術関連機関・組織から発信された三つほどの動向に関わる話題を紹介しながら、問題の在り様について考えてみたい。


話題1.2015年6月(「人文社会学部20周年記念誌」)

 6月9日の各紙朝刊をみて多くの大学人に衝撃が走ったようだ。<国立大学に学部転換促す 少子化で人文系など>、<国立大文系見直しを ニーズ踏まえ廃止・転換促す>等の大きな見出しの記事を掲載したからである。文科相が全国立大学(法人)に通知で表題内容の検討を求めたのだ。当面、国立大学に関わる事項ではある。しかし事の内容は、少子化や時代のニーズの変化を理由にしての人文系を中心にした文系学部の廃止や他学部への転換を促したものであるだけに、いずれ公立大学(法人)へも波及してくるのは必至であると私も不安を感じたことであった。
 そこで当時、「人文社会学部20周年記念誌」発刊(同年秋予定)の準備にかかっていたため、私はそこへ掲載すべく先の通知への批判的コメントをまとめたのであった。その要点は以下のようなものである。
 まず文科相による先の通知が出される近年の伏流をいくつか指摘した。諸氏による例えば、グローバル競争に勝ち抜くための外国語力(特に英語)の強化、職業専門教育の重視、教養教育の縮小等についての提案である。なかでも冨山和彦氏(経営共創基盤CEO)による大学をG型・L型に区分する主張が、通知内容に強い影響を与えたのではないかということを強調した。
 G型とはグローバル世界で競争しうる研究中心の大学類型であり、L型はローカルな地域社会で即戦力として役立つ職業教育、実学中心の大学類型を指すとのこと。前者にはごく少数の大学を指定して予算を重点配分し、圧倒的多数の大学が占める後者に残余の予算措置の算段らしい。
 この富山氏の主張に対する批判的コメントを私は三点ほど行ったが、そのうちの二点(第1点はグローバルかローカルか、第2点は研究か教育かの各々の二区分批判)の詳細はここでは省略し、先の通知にも直接関わると思われる三つめの点についてのみ再度みておきたい。
 その第3点とはG型・L型のどちらにおいても文系、とりわけ人文系学問を<教養>でしかないとし、軽視ないし無用としている点に対してであった。だが理系学問への、例えば科学技術の社会的意義や役割に関わる、たんなる教養としてではなく専門学問として、人文・社会科学系学問は本当に無用なのだろうか。いわゆる3.11以降、原発・地球環境・SDGs・AI等の大規模な時代的課題への対応に関わって、諸学超域による<科学(Science)技術(Technology)社会(Society)>(STS)論の必要性の強調が大きな高まりをみせているのはどう説明しえるのか。また同時に専門職業人を輩出するとされる実学教育にこそ、多様で深い教養として人文・社会科学系学問が密に寄り添う必要がある、ということも私は強調したのであった。


話題2.2019年6月(日本ヘーゲル学会特別講演「ヘーゲルと日本近代思想―今日的意義にもふれて」)

 私は日本ヘーゲル学会(6月30日)で当表題の特別講演を行った。西洋近代哲学を代表する一人であるドイツのG.W.F.ヘーゲルと、日本近代思想の代表者の福沢諭吉とを比較し、いくつかの重要な共通点を指摘した。私はまず、両者に通じる思想的源がイギリスの近代経済学(『国富論』)と道徳哲学(『道徳感情論』)の論者として著名なA.スミスであることを確認した。
 スミスの経済学と道徳論をヘーゲルと福沢がどう受容し、彼ら独自の哲学思想にまとめあげていったのかについての講演の詳細については省略する。ここでは関連して言及した1点について述べておきたい。その点とは、スミスと深い親交があり、彼とともに18世紀イギリス・スコットランド啓蒙思想を代表する論者であると同時に、フランス近代の著名な思想家J.J.ルソーのイギリス亡命を援助し庇護した、強い正義感と深い情感をもったD.ヒュームの言説についてである。
 このヒュームの考えを実は福沢が無自覚に受け入れていたこと、そして何よりも強調したいのは彼の考えが今日の<科学・技術・社会(人間的価値)>連環の分かりやすい古典的な指摘なのだということである。少々長めであるがヒュームの関連個所の文章を引用しておこう。

 偉大な哲学者や政治家、有名な将軍や詩人を生み出す時代は、通常、熟練した織布工や船大工がたくさんいる。天文学を知らない、あるいは倫理学を軽視する国民において、一枚の毛織物が完全に織られるとは、当然、期待できない。時代の精神はすべての技芸(the arts)に影響を及ぼす。そして人間精神は、一度無気力から呼び覚まされ、発奮させられると、それは四方八方に関心を伸ばし、あらゆる技術と科学(science)に改善をもたらす。深刻な無知はすっかり駆逐され、人びとは理性的被造物の特権を享受して、活動するとともに思索もし、身体の快楽とともに精神の快楽も陶冶するようになる。
 これらの洗練された技芸が発展すればするほど、人びとはより社交的(sociable)となる。[以下で<社交的>の具体的で詳細な説明をし、これらが積み重ねられ人びとの身体的精神的快楽となり、生活上で習慣化されていくと述べるが略]この習慣そのものから、彼らは人間性(humanity)の高まりを感じないではおられない。このようにして、<産業・勤労(industry)>と<知識(knowledge)>と<人間性(humanity)>とは、分解できない鎖で結合されている。(田中秀夫訳『政治論集 Political Discourses 1750』京大学術出版会、24-25ページ、2010年)

 ヒュームの言説中の天文学や倫理学は自然科学・人文学の一例であり、織布工や船 大工も技術を駆使しての産業・勤労の一例でしかないのはいうまでもない。大事なのは引用文の最後の個所―<産業・勤労(industry)>・<知識(knowledge)>・<人間 性(humanity)>不可分の三連環―の指摘だ。この場合の「知識」は科学(science) と同義でヒュームもそう使用しており、<産業・勤労>の原語も<industry>でヒュームはこの語と並列して<機械的技術>、つまり<technology>を用いている。要する に知識・科学の応用として技術を理解し、この技術を活用しての諸産業と人々の勤労 が成り立っているということだ。こうした科学と技術、産業や勤労が順調に連関し展開 している状況にある時代においてこそ人びとの人間性もいっそう陶冶されていくという。連環であるから人びとの人間性の錬磨にある社会や時代においてこそ科学の発展 も産業活動の振興も期待できるといえるのであろう。
 付け加えておくと、福沢は(無自覚に)ヒュームのいう三連環のうちの知識と産業 を「智」、人間性を「徳」と掴まえ、<智徳の進歩>を「文明」と説明した(『文明論之概略』)。


話題3.2019年12月(「科学技術基本法」改正方向の報道)

 12月12日の新聞紙上で、「科学技術基本法」の改正の動きにあることが報じられた。その内容と理由はこうだ。まず内容―1995年に成立した科学技術基本法の第1条にある「科学技術(人文科学のみに係るものを除く)の振興に関する施策」という規定にある「人文科学[人文・社会科学のこと]のみに係るものを除く」を削除するというもの。次に理由―基本法の対象分野を「科学技術」に絞っているが、人工知能(AI)や生命科学などが進展し、現代社会の課題を解決していくには人文科学の研究も不可欠になっているからとする。
 改正方向にある内容も、その理由も真っ当であるように思われる。大事なのは、この方向に向いた政府の有識者会議での報告書(11月)づくりに関与された委員たちの次のような意見である。委員の名前が公表され紙上でも紹介されているので、そのまま記しておきたい。
 佐藤岩夫(日本学術会議第1部長、東京大学社会科学研究所長)-「地球規模の環境問題やAI、ゲノム編集技術の発展など、現代の課題に応えるために人文・社会科学が果たす役割は大きい」。
 小林傳司(大阪大学教授・哲学)―「理工系と人文系という分け方は粗雑過ぎる。(ビッグデータを使う情報科学など)社会そのものを実験室とした研究が増え、新しいタイプのサイエンスが生まれてきている」。
 田中愛治(早稲田大学総長・政治学)-「どんなイノベーションが必要かという価値の創造にこそ人文・社会科学が必要だ」。
 こうした委員らの意見を考慮して有識者会議は、「分野融合の推進と、その基盤としての人文科学自体の持続的振興が必要」とし、基本法での先の規定の削除を求める報告書をまとめたようだ。
 国会で法改正が行われ、科学技術と人文・社会科学が融合した形で現代の諸課題に取り組んでいくことが期待される。同時に、法改正がなされても<融合>の向けられる課題や対象、また融合の方法や意味づけ等について、多くの研究者が今後ともいっそう注視していく必要があるであろう。

 ここまで紹介してきた三つの話題にはそれぞれに多少の内容や主張でのズレがあるが、同時に大きな共通点があるように思う。それは科学技術の振興にとって人文・社会科学は無用ということではもちろんなく、また僕や従者でもないという点であろう。両者の連携や融合こそ求められている重要な事柄だということである。