学部・研究科・附属病院の歴史

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附属病院

病院の沿革

 名古屋市立大学病院は、昭和6年(1931)に設置された「名古屋市民病院」に始まり、その後幾多の変遷を経て、昭和25年(1950)に今日の「名古屋市立大学病院」となったものである。
 昭和2年(1927)、本市においては軽費診療機関創立の機運が高まり、南区瑞穂町小者田(現瑞穂区瑞穂通)に地下1階地上3階建て、延べ面積9,720㎡の病院を5カ年事業として建築することとなり、昭和6年(1931)7月10日に竣工、同月13日から診療を開始した。
 初代の病院長には、当時満州で活躍中であった戸谷銀三郎氏を招聘し、その手によって、診療の各分野にわたる医師を始め多数の医療従事者の人選が進められ、礎が築かれた。
 診療科としては9科(内科、外科、小児科、産科婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚泌尿器科、理学診療科、歯科)をもって発足したが、市民の待望久しかった開院により、1日当たり800人を超える外来患者が受診した。また、病床数は、北病棟・南病棟をあわせて230床であったが、患者を収容しきれなかったために増築が行われ、昭和15年(1940)9月には別病棟96床を増加した。
 その後、昭和12年(1937)7月の日中戦争の勃発、昭和16年(1941)12月の太平洋戦争の開始により、全国各地に女子医専設立の国策が立てられ、名古屋市においても名古屋市立女子高等医学専門学校が設置されたことに伴い、市民病院として親しまれてきた名称が「名古屋市立女子高等医学専門学校附属医院」と改称された。
 終戦後の昭和22年(1947)3月に学校教育法の制定による教育制度の大改革が行われ、昭和23年(1948)4月女子医専が女子医科大学となったことに伴って本院の名称も「名古屋女子医科大学附属医院」と改称された。次いで、昭和25年(1950)4月には新制度による男女共学の名古屋市立大学医学部が発足し、同時に現名称の「名古屋市立大学病院」と改称されて今日に至っている。
 当時の診療科は14科(第1内科、第2内科、第1外科、第2外科、整形外科、小児科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科、神経科、放射線科、歯科)で、病床数は350床であったが、昭和32年(1957)7月1日総合病院の認可を受け、さらに昭和36年(1961)4月には大学院医学研究科が設置認可されて、本院もまた大学病院としてふさわしい内容にする必要があったために、既存建物の改造を行い昭和36年(1961)12月21日には病床数が512床となった。
 昭和38年(1963)、既に譲渡を受けていた前名古屋大学経済学部の敷地に地下1階地上5階建て、延べ面積31,786㎡の新病院と地上6階建ての看護婦宿舎を建築することとなり、昭和39年(1964)4月に建築工事に着工した。そして、昭和41年(1966)6月には看護婦宿舎「川澄寮」が、また同年7月には新病院が完成し、11月7日に15診療科(第1内科、第2内科、第1外科、第2外科、整形外科、産婦人科、小児科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、ひ尿器科、神経科、放射線科、麻酔科、歯科)による診療を開始した。許可病床数は624床であった。なお、この新病院の構想に当たっては、中央診療部門(中央臨床検査部、中央手術部、理学療法部、中央放射線部、中央材料部)の充実が大きなウェートを占めていたことが特筆される。
 その後、新しい組織作りも順調に運び、昭和44年(1969)3月にRI病棟10床が開設されて許可病床数は634床となり、同年7月には集中治療部が、昭和46年(1971)9月には人工腎室が設置された。更には、昭和53年(1978)4月に第3内科、脳神経外科が設置されて17診療科になるとともに、神経科を精神科に改正している。
 また、当時、全国的な看護婦不足の状況が続く中、看護婦の待遇改善や生活環境整備等に関する要望を市当局に提出していたが、その中で昭和48年(1973)3月には新看護婦宿舎「東栄寮」が、昭和54年(1979)3月には院内保育所が完成した。なお、看護婦宿舎については、老朽化と昭和57年(1982)3月の看護職員住宅「ホワイトハイツ」完成等に伴い、「東栄寮」は平成3年(1991)3月に、「川澄寮」は平成10年(1998)3月にそれぞれ閉鎖された。
 このように進展してきた新病院も、医療の高度化や組織の充実などによって手狭となり、昭和50年(1975)に策定された名古屋市短期計画において市立大学病院の増改築が市の事業として計画され、昭和54年(1979)4月の起工式を経て、昭和56年(1981)6月には地下1階地上6階建て、延べ面積1万4,875㎡の新棟が完成した。この新棟の完成により、病床数は280床増加し、許可病床数は914床となった。
 この問、昭和54年(1979)3月の名古屋市会において財団法人「桜仁会」設立に関する予算が可決され、同年11月の愛知県知事の設立許可を経て、12月1日より業務を開始した。以後、医学研究の奨励・助成や市立大学病院における患者等の福利厚生の増進をはじめ、自主事業としての駐車場整理事業、患者療養に必要な諸施設の便宜供与等を行うとともに、名古屋市から委託を受けて病院施設の保守管理等のさまざまな業務を実施し、市立大学病院を中心とする地域社会の医療の発展に貢献した。
 昭和57年(1982)以降は中央部門、管理部門の新設や組織改正が相次ぎ、同年5月7日には分娩部を設置するとともに、理学療法部をリハビリテーション部に、人工腎室を人工透析部に、管理部業務課を管理部医事課にそれぞれ改正した。昭和58年(1983)1月7日、結核病棟の廃止と一部病棟の再編成により許可病床数は821床になり、同年5月16日のRI病棟廃止と病棟再編成によって許可病床数808床となった。また、昭和58年(1983)6月1日には内視鏡室、病理解剖室を、昭和59年(1984)5月1日には急性心臓疾患治療室を、昭和60年(1985)6月1日には医療情報部を、昭和61年(1986)4月1日には新生児集中治療室を、昭和62年(1987)4月1日には管理部情報処理室を設置するなど、この時期は近代的な病院情報システムが整備されるとともに、以降の病院組織体制の基礎が形成された時期であった。
  以上のような経緯をたどって発展してきた市立大学病院は、21世紀を目前に控えて大きな変革の時期を迎え、病院の組織体制の充実及び医療の高度化等に伴う建物の狭隘化並びに老朽化に対応するため、平成元年(1989)に策定された名古屋市推進計画(サブタイトルは「21世紀への始動」)では病院改築に向けて整備計画をたてることが掲げられ、平成3年(1991)4月1日、組織を整備し、新病院の改築事業に本格着手した。  
 このような動きの中、平成2年(1990)4月1日には内視鏡室を内視鏡部に改組し、平成5年(1993)4月1日には病理解剖室を病理部に改組するほか救急部を設置し、平成9年(1997)1月1日にはひ尿器科を泌尿器科に、歯科を歯科口腔外科にそれぞれ改組したほか、平成7年(1995)7月1日には特定機能病院の承認を受けている。
 また、薬の処方については従来院内処方を原則としてきたが、医薬分業を推進するため、平成10年(1998)10月1日より、治験薬や試薬が処方されている場合など一定の場合を除き原則院外処方へと移行した。
 一方、診療科に関しては、平成9年度当初より再編成の検討が開始され、医療の高度化・専門分化に対応するとともに市民に分かりやすい診療体制とするため、従来の第1内科、第2内科、第3内科を10診療科(総合内科、消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、内分泌・糖尿病内科、血液・化学療法内科、神経内科、膠原病内科、腎臓内科、心療内科)に、第1外科、第2外科を6診療科(消化器外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児・移植外科、乳腺内分泌外科、一般外科)にと、臓器・疾患別の診療科に再編成し、平成11年(1999)2月1日から全国の公立大学病院では初めての講座と診療科を切り離した体制での診療が開始された。
 市立大学病院においては、21世紀初頭のまちづくりの指針となる「名古屋新世紀計画2010」にも謳われているように、高度先進医療機能を有するこの地域の中核的医療機関としての機能の一層の充実を図るため、平成10年度から15年度までを第1期工事として病棟・中央診療棟の改築を進め、平成16 年(2004)1月病棟・中央診療棟が開院した。
 また、平成17年(2005)3月に第2期工事として外来診療棟建設に着工し、平成19年(2007)外来診療棟が完成した。その後、平成24年(2012)には喜谷記念がん治療センター(東棟)が完成し、先端医療を担う大学病院として稼働している。
 同時に施設面だけでなく、機能的な発展も心がけ、特定機能病院としての充実を図るとともに、平成20年 (2008)2月に地域がん診療連携拠点病院、平成20年(2008)年4月に肝疾患診療連携拠点病院、及び平成27年(2015)4月に総合周産期母子医療センターの指定を受け、さらに、平成20年(2008)2月病院機能評価 (Ver5.0)なを取得するなど大学病院として無くてはならない機能を取得している。また、平成19年(2007)3月に災害拠点病院、平成23年(2011)4月には救命救急センターの指定を受けるなど、救急・災害医療の充実も図った。
 近年増加するがん患者さんに対し、高度な診断や先端治療を併用する集学的な治療が行えるように、平成24年(2012)5月に喜谷記念がん治療センター(東棟)を開院するとともに、令和元年(2019)5月には、がん診療・包括ケアセンターを新たな中央部門として開設した。
 さらに、高度急性期病院としての機能を強化するため、平成29年(2017)4月にハイブリッド手術室を含む手術室3室を増設したほか、平成30年(2018)4月には喜谷記念内視鏡医療センターを設置した。
 平成18年(2006)度に名古屋市立大学は独立行政法人化を迎えて以降、市立大学病院はより一層の自主自立性を持って、地域の中核医療機関として、市民の健康と福祉の増進に貢献してきた。
 令和2年(2020)4月1日現在で800床の病床を有し、32の診療科と中央部門に加え、薬剤部門、看護部門、診療技術部門、管理部門が置かれ、充実した医療の提供体制のもと、笑顔と感動にあふれる病院を目指し、多くの患者さんに対して医療の提供を行っている。