名古屋市立大学の歴史

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第Ⅳ章 名古屋市立大学の発展

2. 薬学部の発展

(1)田辺通キャンパスへの移転

 薬学部は、昭和28年(1953)6月、山崎川西側の萩山町の新キャンパスに移転を遂げた。だが、まもなく、山崎川東側の田辺通地区にあった医学部が名古屋大学から取得した川澄地区へと移転していった。同33年(1958)から36年(1961)にかけて、川澄地区において基礎医学館、臨床研究館、図書館が完成し、医学部は川澄地区へと移転した。そして、その跡地に薬学部の校舎が建設された。
 昭和38年(1963)、薬学部改築の第一期工事が竣工し、翌39年(1964)には萩山町地区から田辺通地区への移転(一部)が開始された。そして、同40年(1965)には第二期工事が、同41年(1966)には第三期工事が竣工し、薬学部は全面移転を行なった。再度の移転であった。なお、この三期にわたる工事は、後述する大学院薬学研究科設置の際に文部省から付帯された留意事項を満たすという性格をあわせ持っていた。こうして薬学部、そして薬学研究科は、田辺通キャンパスに居を据えて教育研究を実施した。

薬学部校舎
薬学部校舎

 なお、薬学部が置かれた萩山町地区の跡地は、薬学部の移転にともない、昭和41年(1966)12月より名古屋市衛生研究所の用いるところとなった(なお、令和2年〈2020〉4月、名古屋市衛生研究所は名古屋市守山区下志段味字穴ケ洞の新庁舎に移転した)。
 それから40年以上の歳月が経過して21世紀になると、田辺通りキャンパスの建物の老朽化が深刻になった。それを受けて、薬学部の新棟建築の計画が進められ、平成20年(2008)、新棟の建築が着工された。工事は順調に進展し、同24年(2012)には竣工記念式典が実施され、平成25年(2013)7月に現在の薬学部田辺通キャンパス新校舎の全面改築が完了した。薬学部は、現在、現代的施設において教育研究を実施している。

(2)大学院薬学研究科の設置

 昭和36年(1961)3月、名古屋市立大学医学研究科博士課程の設置と共に、薬学研究科修士課程の設置が認可された。入学定員は16名、修業年限は修士課程2年で、8講座であった。認可にあたって、文部省は以下の7点の留意事項を示した。それは大学院としての機能を十分に発揮するためには不可欠な事項でった。

  1. 薬草園を1000坪以上にすること。
  2. 川をへだてて分散している校舎を同一場所に集中し、かつ不燃性の建築に改めること。
  3. アイソトープ研究室を設置すること。
  4. 専門図書ならびに学術雑誌をさらに充実すること。
  5. 最新の機械器具をさらに一層整備すること。
  6. 衛生化学、生物薬品化学担当教員は専任の助教授とすること。
  7. 講座研究費をさらに増額すること。

 この7点であった。以後、名古屋市立大学は、この留意事項の実現に尽力し、薬学部の校舎を造営し、薬草園(薬用植物園)を増補・整備し、医学部にアイソトープ研究室を設置した。

薬草園
薬草園

(3)学科の増設

 薬学部は設置当初は薬学科のみの1学科制であった。昭和43年(1968)4月、薬学科の定員を80名から100名に増員した。その後、薬学科に加えて、製薬学科を新たに設置する案がまとまり、文部省に申請し、同45年(1970)1月に認可された。こうして、昭和46年(1971)4月、薬学部2学科制(薬学科7講座、製薬学科6講座)が発足した。この時、それまで薬学科100名であった入学定員を、薬学科60名、製薬学科40名とした。その後、昭和60年(1985)に、入学定員を薬学科50名、製薬学科50名に変更した。
 しばらくの後、平成18年(2006)、学校教育法が改正されて、大学の薬学教育制度及び薬剤師国家試験制度が変更になり、薬剤師養成課程の修業年限は4年間から6年間へと伸長された。これにより、名古屋市立大学薬学部でも修業課程の改編が行われ、薬学科は6年制課程となり、製薬学科は4年制課程の生命薬科学科へと改編された。また、それに伴って、入学定員は薬学科60名、生命薬科学科40名となった。6年制の薬学科では、薬剤師国家試験の受験資格を得ることができ、薬剤師をはじめ、医療に関わる種々の分野に貢献できる人材を育成することを目指した教育課程が編成された。一方、4年制の生命薬科学科では、医薬品の開発研究者をはじめ、生命科学と医療の発展に貢献できる人材を育成することを目指した教育課程が編成された。

薬学部での実習の様子
薬学部での実習の様子

(4)薬学研究科の発展

 昭和36年(1961)3月に大学院薬学研究科修士課程が認可されたが、博士課程を設置するには、前述した7点の留意事項に加えて、以下の6点にわたる要望が薬学視学委員によって求められた。

  1. 36年4月要望の趣旨にそって新校舎の建設を予定通り実施することが望ましい。
  2. 専門教育図書については、和書、洋書、学生用参考書のいずれも急速に充実することが望ましい。
  3. 研究用、学生実習用の機械器具を一層充実することが望ましい。特に薬剤学(調剤学、製剤学)の学生実習用設備を整備充足するとともに、測定機器およびキモグラフィオンを一層増加すること。
  4. 実験実習費および教官研究費を増額することが望ましい。
  5. 研究室、実習室の整備整頓を図ることが望ましい。
  6. 防火および学生の危険防止のための設備を備えるよう留意すること。

 これらは、昭和38年(1963)に薬学視学委員による視察が行われて、求められた要望であった。大学院薬学研究科の博士課程設置認可のためには、2次にわたる要望に対応する整備がなされなければならなかった。前述したように、昭和38年から41年にかけて、薬学部施設の第一期~第三期にわたる改築工事が実施され、要項のほとんどについて充足することができた。
 こうして、昭和41年(1966)3月、9講座の大学院博士課程が認可され、同年4月から大学院薬学研究科博士課程が発足した。入学定員は9人であった。そして、同50年(1975)、薬学研究科は博士前期課程と博士後期課程に再編された。
 その後、平成2年(1990)、博士前期課程の入学定員が26名から45名に増員され、同13年(2001)には、大学院薬学研究科の専攻が再編されて、入学定員が博士前期課程は45名から72名に、博士後期課程は18名へと増員された。
 さらに、平成18年(2006)の薬学部薬学科(6年制)・生命薬科学科(4年制)の設置に連動して、平成22年(2010)には、4年制の学士課程に対応した博士前期課程(2年制)の改組を行ない、博士前期課程・後期課程とも創薬生命科学専攻とした。続けて、平成24年(2012)4月、6年制の学士課程に対応した4年制の大学院博士課程を設置し、医療機能薬学専攻とした。あわせて、博士後期課程(3年制)の改組を行ない、博士課程は入学定員6名、博士後期課程は入学定員8名とした。
 また、薬学研究科では、名古屋市立大学内部の研究科再編だけに留まらず、平成25年(2013)から、名古屋工業大学との共同大学院である共同ナノメディシン科学専攻(入学定員4名)を設置し、薬工融合型の研究と人材育成を開始した。
 これにより、令和2年(2020)年現在、薬学研究科は、創薬生命科学専攻、医療機能薬学専攻、共同ナノメディシン科学専攻の3専攻になっている。
 一方、附属研究所として平成23年(2011)に田辺通キャンパスの共同利用研究施設内に「創薬基盤科学研究所」を設立した。創薬基盤科学研究所は、創薬関係の技術を結集して大学発の創薬を目指す研究所で、医学研究科、医学部附属病院、システム自然科学研究科などの協力を得て、名古屋市立大学の全学的な共同利用研究施設として拡充・強化が行われた。平成28年(2016)には、創薬基盤科学技術開発研究拠点として、文部科学省から「共同利用・共同研究拠点」の認定を受けた。

創薬基盤研究所
創薬基盤研究所

参考文献
名古屋市立大学20年の歩み編集委員会編『名古屋市立大学20年の歩み』1970年
名古屋市立大学薬友会編『名古屋市立大学薬学部百年』1985年
大学院薬学研究科・薬学部オリジナルサイト(https://www.nagoya-cu.ac.jp/phar/index.html)