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マンデーサロン開催報告 2022新任教員着任講演会


3回に渡り、ZOOMにて新任教員着任講演会を開催いたしました。
今回も講師の各先生方に発表内容をご報告いただきました。

<第1回>
日時:2022年5月30日(月)16:30~18:00

●馬渡玲欧先生 「瀬戸内国際芸術祭は何を目指してきたのか」

報告では、瀬戸内国際芸術祭を事例に国際芸術祭が離島地域に何をもたらしてきたか理念と実態について考察した(以下、瀬戸芸と略)。
理念について、瀬戸芸の前史となる、香川県直島での福武財団の取り組みを紹介した。その上で瀬戸芸の総合ディレクターを務める北川フラムの理念を紹介した。
北川の言説の内、筆者は鶴見俊輔(限界芸術論)の受容について着目し、柳田國男、柳宗悦、宮沢賢治の思想を参照した鶴見のアイデアを改めて振り返った。
今後は瀬戸芸の「広域性」と、「個人の行為を磨き上げること」としての限界芸術がどのように両立するか、考えてみたい。
実態については、小豆島のフィールドワークや豊島の関係者へのインタビューから、瀬戸芸を離島地域がどのように捉えているのか、またその持続可能性について現状を報告し、この点については質疑応答でも議論を行った。
報告の機会を与えていただいた人間文化研究所に厚く御礼申し上げる。

●佐藤美弥先生 「関東大震災後における建築家たちの意識と表現」

今回のマンデーサロンでは、建築家個人が残したアーカイブズの資料などを素材として、1923年(大正12)9月に発生した関東大震災後から戦前期にかけて展覧会などの活動を展開した創宇社建築会について報告した。
関東大震災は東京や横浜の都市を破壊し、10万人以上といわれる死者・行方不明者を出した巨大災害であった。
またこの震災をきっかけに大規模な都市計画が行われた。そうしたよく知られている歴史の他方で、震災は都市で新たな文化が生まれるきっかけともなった。
若い建築家によって結成された創宇社建築会のメンバーは決してエリートとはいえない存在であったが、展覧会に出品した架空の作品を通じて、近代化のなかで形成された規範にとらわれない、創造性豊かな表現の重要性を訴えたのである。


<第2回>
日時:2022年6月27日(月)16:30~18:00

●吉永和加先生 「他人と私を繋ぐもの : 哲学的コミュニケーション論」

他者とは近くて遠い存在です。「他者とは何か」という問題は、他者との関わり方が難しくなった近年、さまざまな形で取り上げられています。
ところが、西洋哲学では、2000年以上の歴史のなかで、他者が主題とされるようになったのは20世紀以降にすぎません。
それは、西洋哲学が、「他者」ではなく「自己」を中心に展開されてきたからです。
この講演では、まず、なぜ「他者」が哲学の主題となったのかを概観した上で、その主題へのアプローチとして三つのタイプを紹介しました。
ここでは、その三つのタイプのなかから、「共感」や「愛」を重視する感情の共同体論を取り上げました。
「共感」や「愛」によって、人と人とはどのように繋がるのでしょうか。
そうした感情の共同体の可能性と限界を、フランス革命期の思想家ルソーを解釈することによって検討しました。

●岡村優希先生 「AI時代における労働法」

本報告では、AI技術の社会実装にかかる労働法上の課題について検討を行った。
労働力不足への対応や更なる生産性の向上が課題となっているところ、情報通信 技術の進歩に伴い、それらへの対策としてAIの導入が急速に進んできている。
しかし、労働分野でのAIの利活用については、過去の差別的データを学習することで、学習済みモデルを用いた推論結果が差別的になってしまうという問題、深層 学習を用いることで説明可能性が低下してしまうという問題や、労働の質的な変容によって非雇用化が進展し、労働法による保護領域が狭隘化してしまう等の問題がある。
これらの問題について、技術論と法律論を架橋する観点から学際的な検討を行い、現行法による解釈論の在り方や、今後の立法展望等を行った。


<第3回>
日時:2022年7月25日(月)16:30~18:00

●加藤弓枝先生 「近世和歌の研究史」

歌人が歌集を自らの手で編集して出版することは、現代においては特異なことではなく、むしろ推奨される営為である。しかし、その歴史はそれほど遡ることはできない。出版文化が花開いた江戸時代において、当初は家集の自撰・自序や生前出版はタブーとされていた。その背景には、時代よる家集に対する意識の違いがあったと考えられる。
本講演では、近世中期までに出版された私家集はほぼ故人のものであることや、地下歌人の随筆から近世後期になり書物観が変化したこと明らかにし、江戸時代において歌人が家集を出版することにはいかなる意味があったのかを考察した。

●川戸貴史先生 「海域アジアにおける中世日本の貨幣」

本報告では、報告者のこれまでの研究についての概要を以下の通りに紹介した。
報告者はこれまで15~17世紀(戦国時代から江戸時代初期)にかけての日本列島における貨幣流通の実態について研究を行ってきた。
当時は銭貨の授受をめぐるトラブルが頻発し、幕府や戦国大名は、使用できる銭貨の種類を規定した撰銭令を発布した。
ただし撰銭令の内容はそれぞれ異なっており、地域によって同じ銭貨が通用する地域とそうではない地域とに分化した。
16世紀前半には石見銀山の開発によって日本を含む海域アジアで日本銀が決済通貨として席捲し、1560年代後半には銀が貨幣として使用されるようになった。
銭貨不足は解消されず、1570年代には米が支払に使用されるようになった。1630年代に寛永通宝が大量発行され、ようやく流通秩序が統合された。