小児悪性脳腫瘍の進行に関与するDNA修飾の鍵となる分子を発見
研究成果の概要
公立大学法人名古屋市立大学医学研究科の川内大輔教授(腫瘍・神経生物学分野)および公益財団法人がん研究会の丸山玲緒部長(がん研究所・がんエピゲノム研究部/NEXT-Gankenプログラム)らの研究チームは、ドイツおよびアメリカの研究チームとの国際共同研究を通じて、DNA化学修飾の仕組み(エピゲノム)*1の変化が代表的な小児悪性脳腫瘍のひとつであるSHH髄芽腫*2の発症および進行に関与する新たなメカニズムを明らかにしました。
本研究では、CRISPR-Cas9ゲノム編集技術*3を用いた新規のSHH髄芽腫モデル動物を構築しました。このモデルを用いることで、DNA修飾を制御する因子CHD7およびKMT2Cの変異が腫瘍細胞への変化や細胞増殖を促進することを発見しました。包括的なバイオインフォマティクス解析により、これらの変異が腫瘍の起源細胞のエピゲノム状態を変化させ、それによって神経細胞への分化を促進する重要な遺伝子の発現が抑制されることが明らかになりました。
これらの知見は、エピゲノムの破綻による髄芽腫の発症メカニズムを明らかにするとともに、新たな治療標的を同定したものであり、今後の治療法開発において革新的な道を開く可能性を示しています。
本研究では、CRISPR-Cas9ゲノム編集技術*3を用いた新規のSHH髄芽腫モデル動物を構築しました。このモデルを用いることで、DNA修飾を制御する因子CHD7およびKMT2Cの変異が腫瘍細胞への変化や細胞増殖を促進することを発見しました。包括的なバイオインフォマティクス解析により、これらの変異が腫瘍の起源細胞のエピゲノム状態を変化させ、それによって神経細胞への分化を促進する重要な遺伝子の発現が抑制されることが明らかになりました。
これらの知見は、エピゲノムの破綻による髄芽腫の発症メカニズムを明らかにするとともに、新たな治療標的を同定したものであり、今後の治療法開発において革新的な道を開く可能性を示しています。
研究のポイント
・CRISPR-Cas9ゲノム編集技術を活用し、ヒト髄芽腫の遺伝子変異の役割を効率的に評価可能な新規SHH髄芽腫マウスモデルを開発した。
・本モデルを用いて、患者に頻発する遺伝子変異の機能を評価し、Chd7およびKmt2cの変異が髄芽腫の発症率および悪性度を顕著に増加させることを証明した。
・クロマチンプロファイリング*4および単一細胞マルチオミクス*5などの最先端のがん解析技術により、Chd7やKmt2cの遺伝子変異が引き起こすエピゲノム変化によって、神経分化を制御するNEUROD1の正常発現が阻害されることを発見した。
・本成果を基に、腫瘍細胞特有のエピゲノムに関わる分子を標的とした新たな治療法の開発が期待される
・本モデルを用いて、患者に頻発する遺伝子変異の機能を評価し、Chd7およびKmt2cの変異が髄芽腫の発症率および悪性度を顕著に増加させることを証明した。
・クロマチンプロファイリング*4および単一細胞マルチオミクス*5などの最先端のがん解析技術により、Chd7やKmt2cの遺伝子変異が引き起こすエピゲノム変化によって、神経分化を制御するNEUROD1の正常発現が阻害されることを発見した。
・本成果を基に、腫瘍細胞特有のエピゲノムに関わる分子を標的とした新たな治療法の開発が期待される
背景
髄芽腫は小児に最も多く見られる脳腫瘍のひとつであり、小児の主要ながん関連死因の一つです。中でもSHH型は全体の約30%を占めます。化学療法や放射線治療の進歩にもかかわらず、再発・耐性・副作用などの課題が残り、予後改善が強く求められています。
細胞の性質を決める遺伝子の発現は、DNA修飾を制御する仕組み(エピゲノム)によりダイナミックに変化します。DNA自身、あるいはDNAを巻きつけるヒストンに化学修飾が付加されることで、遺伝子の可読性や細胞の分化、がん化などの運命が決まります。このエピゲノムに関わる遺伝子群が「クロマチン修飾因子」*6です。
先行研究では、SHH型髄芽腫患者DNAにおいてクロマチン修飾因子をコードする場所に遺伝子の傷(変異)が頻繁に見られ、腫瘍の多様性と発症に重要な役割を果たすことが想像されていましたが、こうした変異がどのようにして分化・増殖経路を撹乱し、腫瘍進展を促進するのかは十分に理解されていません。そこで本研究では、より高効率な新規マウスモデルの構築を通じて、クロマチン修飾因子の役割を深く理解し、エピゲノムと腫瘍の関係性を明らかにしようとしました。
細胞の性質を決める遺伝子の発現は、DNA修飾を制御する仕組み(エピゲノム)によりダイナミックに変化します。DNA自身、あるいはDNAを巻きつけるヒストンに化学修飾が付加されることで、遺伝子の可読性や細胞の分化、がん化などの運命が決まります。このエピゲノムに関わる遺伝子群が「クロマチン修飾因子」*6です。
先行研究では、SHH型髄芽腫患者DNAにおいてクロマチン修飾因子をコードする場所に遺伝子の傷(変異)が頻繁に見られ、腫瘍の多様性と発症に重要な役割を果たすことが想像されていましたが、こうした変異がどのようにして分化・増殖経路を撹乱し、腫瘍進展を促進するのかは十分に理解されていません。そこで本研究では、より高効率な新規マウスモデルの構築を通じて、クロマチン修飾因子の役割を深く理解し、エピゲノムと腫瘍の関係性を明らかにしようとしました。
研究の成果
研究チームはまず、Ptch1遺伝子の欠損と関連するヒトSHH型髄芽腫をマウスで再現するため、Ptch1と目的遺伝子(gene of interest, GOI)を同時にノックアウト可能なプラスミドを作製し、電気穿孔(electroporation)法により、腫瘍の起源細胞である小脳外顆粒層の顆粒前駆細胞(ranule neuron precursors,GNPs)に導入しました。また、Atoh1EGFP/+マウスを用いることで、顆粒細胞とそれに由来する前がん細胞(Preneoplastic cells, PNC)・腫瘍細胞のいずれもがEGFPで可視化され、腫瘍の進展が追跡可能となりました(図1A)。
次に、文献データを基に、SHH髄芽腫患者に機能を阻害する変異が見られるクロマチン修飾因子12遺伝子を選定しました。次にPtch1と同時にそれぞれの遺伝子をノックアウトしたマウスモデルを作製し、生存期間を比較することで、腫瘍形成への影響を評価しました。その結果、Chd7およびKmt2cの欠損がマウスの生存率を有意に低下させることが判明しました(図1B)。
次に、文献データを基に、SHH髄芽腫患者に機能を阻害する変異が見られるクロマチン修飾因子12遺伝子を選定しました。次にPtch1と同時にそれぞれの遺伝子をノックアウトしたマウスモデルを作製し、生存期間を比較することで、腫瘍形成への影響を評価しました。その結果、Chd7およびKmt2cの欠損がマウスの生存率を有意に低下させることが判明しました(図1B)。
図1:(A) 新規SHH髄芽腫マウスモデルの樹立。(B) Ptch1と各クロマチン修飾因子をノックアウトしたマウスの生存期間比較。
さらに、Chd7およびKmt2c欠損したがんにおいて遺伝子発現の変化を解析した結果、小脳の正常発生に必須であるNeurod1が両者の共通の下流エフェクターである可能性が浮上しました。さらに、クロマチンプロファイリングおよび単一細胞マルチオミクス解析により、Neurod1の発現を正に制御するゲノム領域(エンハンサー領域、図3の赤い点線のボックス)におけるH3K4me1およびH3K27acといったエピゲノム修飾が著しく低下していることが判明しました(図2)。
図2:(A) 遺伝子発現解析によるNeurod1の発見。(B) Chd7、Kmt2cノックアウトによるNeurod1遺伝子のエンハンサー領域におけるエピゲノム修飾の変化。
SHH型髄芽腫におけるNeurod1の機能をさらに確認するために、研究チームはChd7およびKmt2c遺伝子をノックアウトした腫瘍細胞に追加のNeurod1遺伝子を導入しました。追加されたNeurod1遺伝子の発現により、増殖中の細胞(Ki-67陽性細胞)の数が著しく減少し、Neurod1が髄芽腫の治療における有望な標的であることが示されました(図3)。
図3:Chd7、Kmt2c遺伝子をノックアウトした腫瘍細胞にNeurod1遺伝子を強制発現させたときの増殖細胞の減少。
この結果から、Chd7およびKmt2cはクロマチン修飾因子として、腫瘍起源細胞のエピゲノムを変化させ、Neurod1などの神経分化関連遺伝子の発現を阻害し、細胞運命を変化させて腫瘍形成を促進していることが示唆されました(図4)。
図4:本研究の概念図
研究の意義と今後の展開や社会的意義など
本研究は、CRISPR-Cas9技術を駆使した新しいSHH髄芽腫モデル動物の開発を通じて、腫瘍の進行に重要なクロマチン修飾因子であるChd7とKmt2cを同定し、エピゲノムの異常が腫瘍のフェノタイプを変化させる具体的な仕組みを明らかにしました。同時に、Neurod1はエピゲノム異常の下流標的として、SHH型髄芽腫の標的治療の標的となる可能性を有しています。
この知見と実験的アプローチは、SHH型髄芽腫に限らず、他の腫瘍にも応用可能な革新的治療法の開発に向けた基盤となるものであり、個別化医療の実現に向けた大きな一歩です。
この知見と実験的アプローチは、SHH型髄芽腫に限らず、他の腫瘍にも応用可能な革新的治療法の開発に向けた基盤となるものであり、個別化医療の実現に向けた大きな一歩です。
用語解説
*1 エピゲノム(epigenome): 生物のエピゲノムとは、DNAやヒストンタンパク質に加えられた化学的修飾の集合体であり、これによってDNAが「いつ」「どこで」「どのように」発現するかが制御されます。
*2 SHH型髄芽腫(SHH medulloblastoma): 髄芽腫のサブタイプの一つであり、Sonic Hedgehog(SHH)経路の異常な活性化を特徴とします。
*3 CRISPR-Cas9遺伝子編集技術:DNAの二本鎖切断を原理とする遺伝子改変ツールです。部位特異的ヌクレアーゼを利用するゲノム編集ツールの中でも、簡便で安価という特長があります。
*4クロマチンプロファイリング : 本研究で使用された技術はCUT&Tagであり、タンパク質とDNAの相互作用を解析する際の従来の課題を克服した新しいマッピング手法です。
*5 単一細胞マルチオミクス : 本研究で使用された技術は、single-cell multiomeであり、同一細胞における転写産物とエピジェネティックな状態をゲノムワイドで解析することができます。両者を理解することで、異なる細胞集団における遺伝子発現とエピジェネティックな違いがどのように関係しているかを明らかにすることができます。
*6クロマチン修飾因子(Chromatin modifiers): DNAやヒストンの修飾を通じて、遺伝子の転写を制御する役割を持つ遺伝子の一群です。
*2 SHH型髄芽腫(SHH medulloblastoma): 髄芽腫のサブタイプの一つであり、Sonic Hedgehog(SHH)経路の異常な活性化を特徴とします。
*3 CRISPR-Cas9遺伝子編集技術:DNAの二本鎖切断を原理とする遺伝子改変ツールです。部位特異的ヌクレアーゼを利用するゲノム編集ツールの中でも、簡便で安価という特長があります。
*4クロマチンプロファイリング : 本研究で使用された技術はCUT&Tagであり、タンパク質とDNAの相互作用を解析する際の従来の課題を克服した新しいマッピング手法です。
*5 単一細胞マルチオミクス : 本研究で使用された技術は、single-cell multiomeであり、同一細胞における転写産物とエピジェネティックな状態をゲノムワイドで解析することができます。両者を理解することで、異なる細胞集団における遺伝子発現とエピジェネティックな違いがどのように関係しているかを明らかにすることができます。
*6クロマチン修飾因子(Chromatin modifiers): DNAやヒストンの修飾を通じて、遺伝子の転写を制御する役割を持つ遺伝子の一群です。
研究助成
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)(JP23ama221129)、上原記念生命科学財団、ブレインサイエンス振興財団、鈴木謙三記念医科学応用研究財団、持田記念医学薬学振興財団、Astellas Research Foundation for Pathophysiology and Metabolism、Grant-in-Aid for JSPS Fellows、Science Tokyo SPRINGなどによる助成を受けて行われました。
論文タイトル
Chromatin Modification Abnormalities by CHD7 and KMT2C Loss Promote Medulloblastoma Progression
著者
Wanchen Wang1,2,5,a, 粂川 昂平3,a, Owen Chapman4,5, 白石 涼1, Zhize Xiao1,2,5 Konstantin Okonechnikov6, Yang Sun5, Stefan M. Pfister6, Weijun Feng7, 上阪 直史2, 星野 幹雄1, 髙橋 智8, Andrey Korshunov9, Lukas Chavez4,10,11, 丸山 玲緒3,12,b , 川内 大輔1,5,b
所属
1.国立精神神経センター神経研究所 病態生化学研究部
2.東京科学大学大学院医歯学総合研究科
3.がん研究会 NEXT-Ganken プログラム がん細胞多様性解明プロジェクト
4.Department of Medicine, University of California San Diego
5.名古屋市立大学大学院医学研究科 脳神経科学研究所 腫瘍・神経生物学分野
6.Hopp Children’s Cancer Center Heidelberg, German Cancer Research Center and Heidelberg University Hospital
7.Children’s Hospital of Fudan University
8.名古屋市立大学大学院医学研究科 実験病態病理学分野
9.Clinical Cooperation Unit Neuropathology, German Cancer Research Center
10.Rady Children's Hospital San Diego
11.Sanford Burnham Prebys Medical Discovery Institute
12.がん研究会 がん研究所 がんエピゲノム研究部
a: 共同筆頭著者
b: 責任著者
所属
1.国立精神神経センター神経研究所 病態生化学研究部
2.東京科学大学大学院医歯学総合研究科
3.がん研究会 NEXT-Ganken プログラム がん細胞多様性解明プロジェクト
4.Department of Medicine, University of California San Diego
5.名古屋市立大学大学院医学研究科 脳神経科学研究所 腫瘍・神経生物学分野
6.Hopp Children’s Cancer Center Heidelberg, German Cancer Research Center and Heidelberg University Hospital
7.Children’s Hospital of Fudan University
8.名古屋市立大学大学院医学研究科 実験病態病理学分野
9.Clinical Cooperation Unit Neuropathology, German Cancer Research Center
10.Rady Children's Hospital San Diego
11.Sanford Burnham Prebys Medical Discovery Institute
12.がん研究会 がん研究所 がんエピゲノム研究部
a: 共同筆頭著者
b: 責任著者
掲載学術誌
学術誌名 「Cell Reports(セルリポーツ)」
DOI番号:10.1016/j.celrep.2025.115673
DOI番号:10.1016/j.celrep.2025.115673