見る・聞く・知る 名市大

卒業生の声

自分が“生まれた”この場所で 人類の永遠のテーマを解明する。

誰も解決できなかった課題

ヒトはなぜ老いるのか──。

人類の永遠のテーマといえるこの問題に、最先端の“生化学”という武器で挑むのが、本学大学院医学研究科の中西真教授である。

中西 真さん

もともと彼が医学部に進んだのは臨床医になるためではなく、生命について研究したいと思ったから。しかし、当時の大学生は、みんな当たり前のように体育会系の部活動に夢中になっていた時代。ご本人も例外ではなく、医学部時代の大半をサッカーに充てた。お世辞にも真面目とは言えない学生だった。

そんな中西さんが生涯の研究テーマとなる「生化学」と出会ったのは、大学2年生の時。森山教授(現・システム自然科学研究科教授)の生化学の教室に出入りし、ヒトの肝臓から酵素を生成するお手伝いをしたことで興味を持ったという。

「自分が工夫することで生命の神秘に近づく実感を得られたことは大きな感動でした。その後、基礎研究を続けようと思ったのは、当時の経験があったからだと思います。」

生化学とは生命活動を化学反応で解明するという学問で、当時、世界の研究者が注目し始めたテーマ。

中西 真さん

「せっかく自分が関わるのですから、誰もやってない分野を研究しようと思いました」。

大学院に進んだ中西さんは、今までの時間を取り戻すように研究に没頭した。

「朝の9時から深夜2時までずっと研究する毎日。これが10年ほど続きました」。

これほどに研究に取り組み続けられたのは、同じように頑張る仲間がいたから。

「一人では、きっと続けられなかったと思います」。

本学の大学院で3年を過ごし、より広い視野から生化学を見たいという目的で自治医科大学へ。その後はアメリカ・ヒューストンのラボで研究したり、日本の厚生省がつくった国際長寿医療研究所の初期研究員に招かれたりしながら、生化学研究の第一線を歩いてきた。

その中で彼がたどりついた究極の疑問が、冒頭の「ヒトはなぜ老いるのか」だったのだ。

老化とガンは表裏一体

現在、中西さんは生物の老化を「細胞周期」で解明しようとしている。

細胞周期とは、一つの細胞が増殖するプロセスのこと。正常な細胞は自分と同じものを複製する。これが『生長』だ。しかしそのプロセスに不具合が起こり、止まってしまうことがある。それを『老化』と呼ぶ。

中西 真さん

「逆にプロセスが爆発的に進み、止まらなくなってしまうことがあります。これが『ガン』です。だから、老化とガンは表裏一体の現象だということが分かってきました」。

しかし、単細胞生物なら同じ細胞が増え続けるだけだが、ヒトは一つの卵細胞が何億もの細胞へと変化する。その変化を決めるプログラムは、染色体にあるゲノム一つしかない。なぜ一つの細胞が心臓や肝臓、脳になり得るかという『多様性』の仕組みは分かっていないのだ。なぜ一つの細胞が心臓や肝臓、脳になり得るかという『多様性』の仕組みは分かっていないのだ。しかも、そんな多様性を持つ細胞が、一度何らかの細胞になってしまった後、なぜ別の細胞にならないかという『同一性』の仕組みすらも解明されていないのだ。

「生化学の分野では、そんな基本的なことがまだ明らかになっていないのです」。

だから細胞周期を研究する先に、老化とガンという現象の解明があり、そして2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授のiPS細胞の解明にもつながると中西さんは信じている。

「最近、このテーマはようやく世界的にホットになってきたところ。私たちの研究室は世界の最先端だと自負していますから、これから面白くなりますよ」と、中西さんは自信を見せる。

本学のために

中西 真さん

中西さんは平成10年に本学に戻り、自らの研究を継続している。彼のゼミは人気が高く、今や25名の研究生を抱える、基礎医科学講座では最大の研究室となった。

彼は今日、研究を通して二つのことを学生に伝えようとしている。

「一つは、同じ勉強するにしても『暗記』ではなく『理解』してほしいということ」。

事実を記憶するだけでは全体が見えない。質問の答えは同じでも、質問の仕方を変えると答えが分からなくなる学生を見るたびに、彼は物事を多面的に見ることの大切さを学生に力説する。

中西 真さん

「そしてもう一つ、私がいつも学生に話すのは、将来、名市大のために何ができるか考えてほしいということです」。

「特に基礎研究を行う者は、一度くらいは外の病院や研究機関で鍛えられ、その経験を本学の研究に活かすべきだと思います」。

もちろん、それは中西先生自身が歩んできた研究者としてのキャリアのことだ。

「私は、自分自身が名市大のために何かをしなくてはならないと思っています」。

彼にとって本学は、未熟な自分が多くの人に育ててもらい、研究者のスタートを切った場所。いわば自分が“生まれた”場所であり、戻ってきてからも多くの先生方から愛情をもって迎え入れてもらった場所でもある。だから名市大に恩返しをする。それは当たり前のことだ。

学会で自分のプロフィールが紹介される時、「名古屋市立大学」の「市立」がよく欠落することがあるという。「そんな時は、自分の名前を間違えられるよりもムッとします」と中西先生。

数年後、そんな名市大愛に満ちた中西先生の研究室で、人類の永遠のテーマが解明されるかも知れない。

プロフィール

中西真さん
名古屋市立大学 大学院医学研究科 基礎医科学講座細胞生科学分野 教授
[略歴]
1985年 名古屋市立大学 医学部 卒業
1989年 名古屋市立大学 大学院医学研究科 博士課程 修了(医学博士)
     自治医科大学 医学部 生化学講座 助手
1992年 自治医科大学 医学部 生化学講座 講師
1996年 国立長寿医療研究センター 老年病研究部長室
1998年 名古屋市立大学 医学部 生化学第二講座 助教授
2000年 名古屋市立大学 医学部 生化学第二講座 教授
2002年 名古屋市立大学 大学院医学研究科 基礎医科学講座細胞生科学分野 教授

在学中の中西真さん

中西さんが大学時代、本学のサッカー部は大学リーグで2部の上位が定位置という強豪チーム。当時は大阪・横浜市大と「三大市大対抗戦」を開催していたという。そんなチームの守護神・ゴールキーパーだった中西さん。現在の人文社会学部棟の場所にあったサッカーグランドで練習に明け暮れた。今日、本学サッカー部の顧問として、強豪チームの復活をめざす。

卒業生の声 一覧へ戻る