名古屋市立大学 大学院人間文化研究科・人文社会学部

人間文化研究所

マンデーサロン

【開催報告2019年6月4日】マンデーサロン アンドレア・カスティリョーニ「沈黙、修行と板碑-近世の湯殿山信仰-」

[2019年06月04日]
マンデーサロン
沈黙、修行と板碑-近世の湯殿山信仰-
2019年6月4日(火) 18時~19時30分(教授会終了後)
講師:アンドレア・カスティリョーニ
  • 内容
日本の近世における修験道(しゅげんどう)について、湯殿山の事例を中心にお話しします。※講演は主に日本語で行います。
  • 参加記
講師のアンドレア・カスティリョーニ先生は、イタリア出身で、イタリアや米国の大学で日本文化を研究し、この春から名古屋市立大学の講師として教鞭をとっている。私を含め、多くの日本人にとっても、知っているようで、実はよく知らない修験道がご専門ということで、興味深く話を伺うことができた。 湯殿山は、山形県の山岳信仰や修験道の聖地である出羽三山のひとつである。
講演では、まず、出羽三山の起源に触れ、中世初期に紀伊半島の熊野三山信仰が伝播したことで、出羽に新たな三山が生まれたこと、その出羽三山にも変遷があり、また、三山のひとつ羽黒山では、熊野とは異なる聖観音を本地仏にすることでその土地に以前からあった信仰形態を反映させるなど、単なる熊野三山の移行ではない出羽の独自性も見られたという。
出羽三山は、密教系の修行と信仰の場であったが、江戸時代初期に、羽黒山が天台宗であることを明確にすると、対抗する形で湯殿山が真言宗を打ち出したことから、両者の間でアイデンティティ争いが起きた。これに対し、江戸幕府は、あえて一方に軍配を上げることはせず、両者を拮抗させるという宗教政策を取った。さらに、明治初期には、新政府の神仏分離政策の影響を受けた。修験道の修行の場も政治とは無縁ではいられなかったのだ。
ところで、湯殿山には、「僧侶」と「修験者」に加えて、「一世行人(いっせいぎょうにん)」と呼ばれる人々が所属していた。彼らは、自分自身のためではなく、他人の「願」を成就するために、その代わりになって修行を実践する人たちである。その修行は、木食や水垢離、巡礼や山籠り、さらに千日行などといった厳しいものであった。そして、その最終形態が「入定」ということになり、高名な「一世行人」になると、死後、即身仏として祀られたという。「願」の内容も様々であったというが、例えば、地元の大名・最上義光が、関ケ原の戦いにおいて東軍の勝利を祈願するなど、武士がパトロンになることもあった。
金銭的な支援者のために修行を行い、功徳を廻向するという「一世行人」の存在やその実践について、筆者は、今回、初めて知ることができたが、講演後の会場からの質疑応答も含め、大変わかりやすい説明であった。
また、専門的な用語を含め、先生の日本語の堪能さにも感服した。
今後は、出羽三山にみられるような日本の修行の場と、例えば、ヨーロッパのカトリックや正教の修道院などにおける聖職者の修行のあり方との共通性や違いなどについてなど、さらに幅広い話を伺う機会があればと感じた。
牧 真吾(本学大学院 人間文化研究科 博士前期課程)
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