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在学生の声

不思議な縁に導かれて医療業界へ、そして大学院へ。

元・営業マン、大学院に進む

加藤芳司さん

大学時代は文学部に在籍し、卒業後は商社に就職。このまま順風にいけば、今日の加藤芳司さんは存在しなかったはずだ。しかしルート営業が性に合わず、25歳で退職。定職にもつかずに短期のアルバイトを繰り返していた頃、新聞で介護の仕事を見つけ、「これならできるかも知れない」と、軽い気持ちで応募した。そこから、彼の人生は急展開する。

意外と介護の仕事が合っていたのだ。そんなある日、彼に転機が訪れる。

「一緒に仕事をしていた人から、理学療法の研修に誘われ、面白そうだったので参加してみました。そこで出会った先生から、会社の型にはまるのではなく、自分で人生を切り拓くという生き方を教えてもらいました」と加藤さん。

29歳で一念発起し、理学療法士の資格をとるために専門学校に再入学。3年で資格を取得し、卒業後は名古屋市緑区の“なるみ記念診療所”で理学療法士として働いた。

「その後、名古屋の“国際医療技術専門学校”からも講師を依頼され、せっかくなのでチャレンジすることにしました」。

数年前まで商社の営業で悩んでいた男が何かの“縁”に導かれ、病院で働きながら教壇にも立つ。それだけでも大きな転身だが、彼のストーリーはまだ続く。

「今後、専門学校で指導を続けていくには、理学療法士の資格だけでは不十分。やはり修士・博士が必要だと考えはじめました」。

そこで彼は、大学院で理学療法に関する研究を続けることを決意する。そんな加藤さん選んだのが、名古屋市立大学大学院の「システム自然科学研究科」であった。

三足のわらじをはいた日々

加藤芳司さん

システム自然科学研究科のテーマは「自然科学の諸分野を、情報科学を核として理解する」ということ。数学・情報科学・物理学・化学・生物学・運動生理学・栄養学といった多彩な学問を融合させ、生体構造情報系・生体制御情報系・生体高次情報系・生体物質情報系の4つの領域で研究を行うというユニークな構成の研究科である。だから加藤さんのような社会人の応募も多い。

「入学試験の面接では、自分は研究の素人だし、仕事との両立は大変そうだけど、絶対にやりぬくという決意をアピールしました」。

その宣言どおり、彼は専門学校の講師の仕事が終わると大学院に通い、毎晩10時近くまで講義を受けた。だから自分の研究テーマである「運動による高齢者の健康づくり」のデータまとめは土曜と日曜にまとめて時間をとるしかない。

「ここまで大変だとは思っていませんでした。でも、家族に支えられたから頑張れました」と、彼は当時を振り返る。

実は、彼が忙しかったのにはもう一つ理由がある。大学院に入学した年、彼の勤務先の一つである“なるみ記念診療所”で、今まで名古屋になかった新しいフィットネスクラブを立ち上げることになった。その監修を、加藤さんが任されることになったのだ。

健康施設をプロデュースする

新しく生まれた施設の名は、メディカルフィットネス『ナルミ エア スタジオ』。一般のフィットネスクラブとは違い、医師や理学療法士が医学的な根拠に基づいてお客さま一人ひとりに最適なプログラムを作成し、定期的に評価を行うというもの。

「だから身体の構造についてより専門的に解説し、障害を持つ方にも適切なアドバイスができるという特徴があります」。

ここで加藤さんは、大学院で学んだ運動の評価方法などの知識とノウハウを総動員し、設計から機器の選定、人材の採用までのすべてを担当した。

加藤芳司さん

また2012年の4月には、同院の患者さんを対象とする運動特化型の『通所リハビリテーション施設』のオープンにあたり、そのプロデュースを担当したのが彼である。

「ここでも、不思議な“縁”を感じています」と加藤さん。実は彼が所属する研究室が油圧式ウェイトマシンの研究をしており、この施設の機器選定の際、他のウェイトマシンが採用される可能性もある中、油圧式ウェイトマシンの導入が決定し、これもまた、大学院での学んだ知識が生かされる形となった。彼の周囲でさまざまな人や物が出会い、良い結果に結びついているという実感が彼には嬉しい。

「ここまで来たら、早く博士号を取得して、大学で教鞭をとるのを目標としたいです。」と加藤さん。不思議な縁に導かれた彼の理学療法士のストーリーは続く。

国際医学技術専門学校
http://iimt.jp/

なるみ記念診療所
http://www.narumikai.or.jp/clinic/

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